腎臓病の告知・透析の導入など不安でいっぱいの患者を支える腎臓病患者会[腎友会]

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私は、2015年10月から、NPO法人東京病協議会(以下、東腎協と略す)の事務局長をしています。東腎協は、「腎臓病の知識の普及と予防」「患者さんのための医療と福祉の向上」という2つの理念を両輪として、東京都や区市町村に対して医療環境・福祉制度の向上のための要請活動や国会請願をはじめ、腎臓病の知識を深めるための「腎臓病を考える都民の集い」や「臓器移植普及推進キャンペーン」などを行っています。

私が東腎協の活動にたずさわるようになったのは、私自身が透析患者になったことと無関係ではありません。10歳のときに慢性腎臓病と診断された私は、子どもだったこともあり、通院をしながら日常生活を普通に送ってきました。その後、24歳で結婚し、所帯を持ったことで徐々に意識が変化。「この先、腎臓病は治るのだろうか」という疑問を抱くようになり、30歳過ぎで腎生検(腎臓の細胞を取り出し、検査で病名を判断すること)を受け、慢性腎炎と診断されたのです。

慢性糸球体腎炎は、糸球体(毛細血管が毛玉のように球状に集まった、血液をろ過する腎組織)が侵される病気です。ゆっくりと腎機能が低下していき、腎不全を経て、いずれは人工透析か腎臓移植が必要になります。

20代後半から印刷・出版関係の会社を経営していたため、普通の人より時間に拘束されずにすんだことが幸いでした。ただ、病魔はじわじわと体をむしばみ、45歳過ぎには腎性痛風(腎機能の低下に伴い、尿酸を排泄する働きが低下して起こる痛風)の発作や貧血、倦怠感に襲われる日々で、結局、55歳のときに血液透析の導入に至りました。

現在、私は東京都日野市のクリニックで透析を受けています。当時、そのクリニックには患者会がなかったため、7年前に患者会(腎友会)を設立しました。そのさい、設立総会に出席された東腎協の木下久吉会長(当時)から「時間も体力もあるのなら、東腎協の理事になってくれ」と誘われたのです。

人工透析は一生、土・日を除いて1日おきに4〜5時間受けつづけなければなりません。人工透析を導入すると、かつては「寿命が糖尿病腎症で5年、一般腎症で10年」といわれていました。しかし、いまでは透析技術が飛躍的な進歩を遂げ、45年以上透析生活を続けられている方もいます。私は、透析人生の長さを痛感し、腎友会の諸先輩方を5年後、10年後の自分のお手本とすることにしました。

実際の透析患者さんの生の情報は、医師や看護師の講義とは違った、貴重な勉強材料になっています。なるべく多くの患者さんと出会うためにも、私は患者会に入会することが大切だと考えています。

腎臓病の治療は、食事にしても運動にしても、制限しなければならないことがたくさんあります。しかし、「肉もダメ」「野菜もダメ」「果物もダメ」「運動もダメ」と我慢ばかりしていては、かえってストレスがたまってしまいます。私はいまでも、お酒をたしなむ程度に楽しんでいます。また、透析導入前にやめたゴルフを、60歳から再開しました。1年に1〜2ラウンド程度ですが、無理のない適度な運動で健康維持に役立っています。

先人たちの努力の賜物で、1971年に人工透析の費用は全額国庫負担になりました。1ヵ月に10万〜20万円の自己負担があった時代には、「金の切れ目が命の切れ目」といわれていたのです。その時代を経験した会員の方から、当時のようすを聞くこともあります。平等に無償で人工透析を受けられるという恵まれた現在の環境に、感謝の念を抱かずにはいられません。こうした歴史を後世に伝承していくためにも、患者会の意義は大きいと考えています。

医師から腎臓病と告げられたとき、透析治療を受けることになったとき、不安に思うことは多いものです。腎友会は、不安でいっぱいの腎臓病患者さんを支えるために、患者さん自身とその仲間で作る患者会です。

腎臓病は早期発見・早期治療が非常に大切です。人工透析や腎臓移植に至らせないためにも、1人でも多くの腎臓病患者さんに会員になっていただきたいと考えています。現在、全国には約3000の腎友会、約10万人の会員がいます。腎友会では腎臓病患者さんの療養生活をよりよくするために、会員が力を合わせて活動しています。「あなたは決して1人ではありません」――興味のある方は、ぜひお問い合わせください。

板橋俊司さん(NPO法人東京腎臓病協議会事務局長)

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